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【毎日更新】植松洋史さんインタビュー<3>

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 植松さんの話として語られるもののひとつは「熊蜂の飛行」である。幼少の頃にリムスキー・コルサコフ=シフラ編の「熊蜂の飛行」を繰り返し聴く環境にあって、それを蜂のイメージとして覚えてしまったという。もちろん多くの人に語られてしまった中で多少の脚色はあるのだろうが、当時から続くピアノへの熱意というものが変わることはない。

― ピアノは何歳くらいから始めたのでしょうか。
「5歳くらいのときからですね。小学校3年生のころまで先生について習っていました。その後、ピアノの先生が出産などの都合で教えられなくなったので、エレクトーンを習っていた時期もありましたが、ピアノを定期的に習うということはそれまででしたね。けれどピアノのレッスンがなくなってからもピアノが好きだという思いはありました。実はピアノに興味を持ち始めたのはもっと小さいときからです。音楽一家ではなかったのですが、2人の姉がピアノを弾いていてその練習の邪魔ばかりしていたらしいです。それを見た親が、ピアノに興味があるのかもしれないということでピアノの先生をつけてくれました。最初のレッスンは、ドの音が4つ並んでいるのを弾くところから始めました。音符をリンゴ4つ分という教え方をされたんですけれど…」

― よくありますね。
「どうしてリンゴが出てくるのかが分からなかったんです。音符は読めていたのに(笑)。音符とリンゴの結び付きに必然性があまりないじゃないですか。そんなこともありましたが、また別にピアノの音が出るための演奏の仕組みというものにも興味を持っていましたね。例えば、当時親がレコードの「ラ・カンパネラ」をかけてくれたのを聴いたのですが、高音域、中音域、低音域から同時に音がでてきたので、子供心にきっとリストという人は手が3本あったに違いないと思っていました(笑)。それから保育園のときに「ラ・カンパネラ」の楽譜をせがんで買ってもらったりして、音符があまりにたくさんあってなんじゃこりゃという感じで。黒鍵を識別するために塗りつぶしたら真っ黒になった(笑)。そのくらいの頃から、未知な物に対する憧れというものがピアノに対して向き始めました。こういうふうに弾ける人に会いたいな、という感じで。」

「あとはその頃からシフラの演奏をよく聴きました。実をいうとその演奏があまりに凄かったので、彼はピアノでなくて別のマシーンで弾いているのかとさえ思っていましたが(笑)。当然レッスンのときはそういう難しい曲をもっていけなかったので、そのような曲はこっそりと弾けもしないのに練習していました。「熊蜂の飛行」についてですか。これは今から考えても奇妙な話なのですが、親が恐らく情操教育の一環としてかけていたレコードに、シフラ編の「熊蜂の飛行」が収録されていました。それも有名なオーケストラ曲などの全うな曲が多かったその中に何故か紛れていたんです(笑)。なのでこの曲は一般的に弾かれる曲なんだと勘違いをしましたね。初めて聴いたときに、蜂がぶんぶんとんでいるのが非常に感じられて、どういう譜面なんだろうと興味を持ちました。それから先ほどの「ラ・カンパネラ」と同じようにそれも親に楽譜を買ってきてもらったのですが、シフラ編ではなくラフマニノフ編のものでした。当然ですがレコードとは途中でずれてきて、これは行間を読まなくてはならないのかと思って勘違いもしましたね(笑)。その後、大学で東大ピアノの会に入ったときに、シフラの譜面を集めている友達がいたのですが、その中に「本物」があって、これだと発見したその瞬間の感激はすごかったですね。」

(続く)
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