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【毎日更新】金子一朗さんインタビュー<5>

― 選曲ということで、例えばアマチュアでは凄いところから作品を引っ張り出してくる人もいます。
「僕は正直なところ、第二次世界大戦以降の作曲家の作品にはあまり強い興味を惹かれないですね。というより、それ以前の作品で生涯に弾ききれないような膨大な作品が自分の弾きたいものとしてあるという感じ。手がまわらないです。例えばバッハだけだって全部は終わらないですし、歌曲の伴奏や室内楽も非常に多く残っています。もっと言えば僕は音楽作品に対する考古学的興味があるんですよ。」

― 考古学的興味というと。
「つまり今生きていない作曲家の作品に対する関心ということですね。このような作品には楽譜以外のたとえば作曲者自身の演奏は残っていない。バルトークとかプーランク、ドビュッシー・ラヴェルは録音が若干残っていますが例外的でしょう。すると楽譜から音楽を起こすことになるのでそこが面白いと感じられます。」

― 解釈をできる?
「発見できる。」

― 解釈や発見と言うのは作曲家自身による解釈の再現と言うことですか。
「例えば、ある音を使っているときに、その音はどういう意味があるのか、ということですね。楽譜に書いてあることを読んで、例えばピアノとかクレシェンドと書いてあったら何故なのか、
何故ここの和音なのか、意味をひとつひとつ全部押さえる、ということです。そうするとその作曲家がその音楽で表現しようとしていた美意識とか、思想とか、楽譜単独から見えてくる。
そこに共感が得られる。そういう作品を弾きたいと思っています。近代から前の作品だとまず全部読みかたが違うから面白いというのがあります。例えばバッハの作品なんかだと当時なかった楽器なわけで、強弱の記号やアーティキュレーションだって書いていないわけで、素の音符だけだけど、それをそのまま弾けばいいかと言ったら、そんなことあるわけないわけで、当然強弱とかニュアンスとか大量に含まれている。それをあるべき形、近代の作曲家だったら楽譜に書いていたこと、を演繹的に推論して、それでそれを付け足さないといけない。バロックとかをやるのにはそういう面白さがあると思います。それから古典とかだと急速にピアノが進化している時期なので、中途半端にピアノっぽく書いていたり或いは極めてピアニスティックに書いていたり、ひとりの作曲家の中にも混在している。」

― ベートーヴェンとかの作品でもそうですね。鍵盤の幅も広くなっていきますし。
「ものすごく変化をしていますね。それを現代のピアノで弾くときに、書かれている通りに弾くだけでは分からなくて、相変わらずバロックの頃からの慣例があり、逆に書いてある指示を額面どおりにやってしまうと現代の楽器では駄目になってしまうところもある。それ以外にもそれぞれの作曲家の民族的な趣味、歴史観とか、そういうものがあってそれを考えて楽譜に書いているものを再創造することが解釈ということではないかと思います。楽譜から色々なことを考えてきちっとしたものをつくるところですね。そこが面白い。」
♪♪♪♪♪

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